「うちは社員を信頼しているから、タイムカードのような堅苦しい管理はしない」
経営者との対話の中で、このような「性善説」に基づく労務管理の方針を伺うことがあります。
その社員を信頼するという考え方自体は、非常に尊重されるべきものです。
しかし、私たちの視点では、その信頼の示し方と、勤怠管理という体制を混同することには、2つの大きな経営リスクが潜んでいると考えます。
今回は、その性善説に潜むリスクと、「人が育ち、人が残る」ために推奨される勤怠管理の本来の役割について、解説します。
最も分かりやすいリスクは、法的な防御ができなくなることです。
労働時間の管理(把握)は、法律(労働安全衛生法)で定められた企業の義務です。
万が一、退職した社員から未払いの残業代があると申告があった場合、労働時間を証明する責任は、原則として企業側にあります。
この時、信頼していたから記録がないという主張は、法的には通用しません。
タイムカードやPCログのような客観的な記録がなければ、企業は反論することができず、社員の自己申告に基づいた、予期せぬ高額な未払い残業代の支払いを命じられる可能性があります。
こちらが、私たちが採用定着の観点から、より深刻だと考えるリスクです。
勤怠管理という客観的なルールがない職場では、一体何が起きるでしょうか。
多くの場合、それは性善説に基づいた理想的な職場ではなく、信頼に甘える一部の社員と、その負担を背負う真面目な社員との間に、不公平感が生まれる職場です。
ルールがなければ、遅刻や早退をしても、客観的な記録は残りません。
一方で、真面目な社員が、他の人の分までカバーして働いた見えない時間も、記録には残りません。
結果として、「頑張りが正当に評価されない」、「真面目にやっている方が損をしている」と感じた、会社にとって最も大切な真面目な社員から、静かに辞めていきます。
これが、性善説という曖昧な体制が引き起こす、最悪の採用のミスマッチ(入社後の定着失敗)です。
人材で困らない企業になるための推奨される考え方は、勤怠管理を社員を疑う道具ではなく、社員を守るためのルールと再定義することです。
社員を守る: 客観的な記録は、社員がどれだけ働いたかを証明する唯一の盾となります。
公平性を守る: 客観的な記録は、上司の感覚ではなく事実に基づいた、公平な評価と給与計算を行うための、最低限のインフラです。
ここでいう勤怠管理は、もはやタイムカードを押すような古いものだけではありません。
PCログ、GPS、SlackやTeamsへのログイン履歴など、現代の自動化ツール(AIとは異なります)を使えば、社員の負担を最小限にして、客観的な記録を残す体制は構築可能です。
信頼とは、ルールが一切ないことではありません。
公平なルール(体制)が、誠実に運用されていることこそが、本当の信頼の土台となり、「人が育ち、人が残る」職場環境につながると考えます。